現代の制作者と鑑賞者から考えるコレクションの収集方針
美術館のコレクションとは、教育、娯楽、実用のために収集され分類されたものの集まりである。[注1]本稿では、美術館のコレクションの収集方針が、どうあるべきかについて重点を置き、制作者と鑑賞者の関係から考察した上で自分の考えを述べてみたい。
美術館のコレクションの役割のひとつである、未来のために現代の作品を保存し残していくことを果たしていくにあたっては、現代においてリアルタイムで制作されている作品を無視することはできないと私は考える。これらの作品の多くは現代美術と名がつくものである。これらはキュビズム以降急速に拡大した文化であるが、では、現代美術は一体何を軸として成立しているものなのだろうか。
この問題を考えるために、現代芸術家村上隆氏の論考を取り上げたい。村上氏は、「芸術とは”死後の世界を作ること”」が絶対的事実であると信じ、現代美術家は「”時代を乗り越えていく可能性”」を持った作品を制作するために「死んでからのこと」までを考えて制作を行なっていくべきだと主張している。[注2]この考えからは、現代美術家は常に鑑賞者である私たちが理解できる範囲を超えた先の未来を捉えて表現しようとする姿勢がみられ、そこには深い思考に基づく制作がより現代美術で重要視されているように私は考える。
さて、現代美術といえば、アンディ・ウォーホルや、マルセル・デュシャンを意識して取り上げることができる。彼らは、まさに時代の先を見据え、見た目の美しさよりもその思考に重点を置いた作品制作を行ったことで、今までにみられなかった作品が芸術として認められるようになり、そのことは結果として”芸術”という概念が広く押し広げられることになったといっていいだろう。一方で、彼らの作品は、極めて新しい未来を捉えようとし制作されているが故に、鑑賞者である私たちには、ひどく作品に対する解釈の行為が難しい現状が生まれているようにも私には感じられる。しかし、この現状が生まれていることにあたっては、美術館の責務も大きいのではないだろうか。この問題を考えるために、美術研究家であるK.シュバート氏の論考を取り上げたい。シュバート氏は、「美術館観客は極めて知的で高尚になった。…(略)…仮にほとんど予備知識のない来館者が戸惑うとすれば、充実した教育施設や関連プログラムがこのような欠点を補う仕組みになっている…(略)… 入れ替え式展示は、少なくとも当分は一番効率的な方法だろう。」と主張している。[注3]確かに、教育施設や関連プログラムには私たち鑑賞者が主体的であれば学べる環境は整っているように感じられる。だが、シュバート氏の論考に対して、私は一つ反論したい。美術館にとっては”何もしないでいること”はいけないことであり、そういう意味で、美術館がこういった根拠の微妙な安心感を持っていていいのだろうか。少なくとも、日本にあたっては、美術館観客は極めて知的で高尚になり、また美術館では一番効率的な方法が行われているとはわたしは信じがたい。イベント性の高い企画展にばかり観客が集まる一方でコレクション展は閑散とした雰囲気をどこの美術館も持っているように感じられるのが、危機感を持たなければいけない一つの例であると私は主張したい。美術館はその美術のターニングポイントを迎えているにあたっても収集方針含む今までの姿勢のままで良しとしている部分があるのではないのだろうか。制作者全体が先導してこの時代の価値を探っていく体制をとっていることに対し、私たち美術館含む鑑賞者は美術を鑑賞して何かを疑問に感じられたり、考える行動を行なえる場が十分に提供されていないことが現状として存在していると私は考える。そういう意味で、美術のあり方が思考重心で変化していく中、美術館も一貫したテーマの中でも新しい問題意識を常に持った上でのコレクションの収集を行う一方で、美術館であるこちら側の解釈を示すのではなく、市民に鑑賞してもらう際に解釈をしっかりと行なってもらえるコレクションを常に想像しながら収集していくべきではないかと私は考える。
以上の考察から、結論として、美術の定義や時代の価値観も変わる中で美術館のコレクションは、鑑賞者のために制作者と鑑賞者同士で自由に闊達した解釈が行えるよう、両方の意識・考えをしっかりと把握した上で、学芸員一人一人が思考の基で提案を行えるような、時代に柔軟なコレクションの収集方針を持っているべきであると私は主張したい。[注1]ダニエルジロディ、アンリブイレ著 Daniele Giraudy 原著, Henri Bouilhet 原著, 松岡 智子 訳『美術館とは何かーミュージアム&ミュゼオロジー』鹿島出版会、1993年、47頁
[注2]村上隆著『創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』角川書店、2012年、94~110頁
[注3]K.シュバート著、松本永寿、小浜清子訳『進化する美術館』玉川大学出版部、2004年、158-159頁